2011年3月22日火曜日

栗田智仁のスイカ知識

栗田智仁のスイカ知識

夏場の栄養補給と 夏ばて防止に!!

 夏の味覚を代表するスイカは、夏の風物詩として江戸時代から今日に至って いる。
色鮮やかな切り口は、みずみずしく、すがすがしい香りが涼を運んでくれます。

 名の由来は…中国では西から伝わったので西瓜(シィグァ)と呼んでいた。
それが日本にそのまま伝えられ、転じて〈スイカ〉となったといわれています。

 スイカ栽培の起源は古く、4000年前に古代エジプト人が栽培したことが今日に残っている絵画で立証されています。

 当時は種を食用に供し、また、熱帯の乾燥地で飲料や薬用に供したが、後に地中海地方や東アジアで果実的用途に発達した。

 スイカは原産地の南アフリカから中国(11~12世紀)、ヨーロッパ(16世紀初頭)、アメリカ(17世紀)と伝わっていきました。

 日本へ伝わった時期については諸説があります。
安土桃山時代(1560年代)にポルトガル人が持ち込んだという説。
また、17世紀中期に隠元禅師が中国から持ち帰ったといわれる説があります。

 しかし、鳥羽僧正(1053~1140年)の「鳥獣戯画」にスイカらしい絵が描かれていたり、僧義堂の「空華集」(1359年)にスイカの詩が見られる事から、もっと古い時代に伝わって平安朝後期に作られていたのではという見方もあります。

 江戸時代の「農業全書」(1696年)や本草図鑑(1828年)にスイカの記述があり、天保年間の絵馬にはスイカの切り売りの様子が描かれていますが、無地皮になっています。

 現在のスイカは、緑の地に濃緑の縞模様が一般的ですが、こうした品種が広まったのは、昭和初期以降で、それまでは黒皮、無地皮が一般的でした。
「鉄カブト」とも呼ばれていたそうです。

 江戸時代には果肉が赤いのは気味が悪いとされ、あまり食べられなかったのでは…。

 明治末期になって、多くの品種が導入されたが、アメリカからの導入品種アイスクリームが日本の風土、嗜好に適し、在来種を圧倒、この馴化系およびこれと在来種の雑種系が普及した。
こうした雑種系を整理する為、大正から昭和初期にかけて計画的育種事業が行われ、奈良県で水田地帯向けの大和群、遅れて千葉県で畑作地帯向けの都群の一連の品種が育成されました。

 現在の日本の実用品種(ほとんどが一代雑種、F1)は、多かれ少なかれその流れをくんでいます。

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